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宮城県

宮城県七ヶ浜町
七ヶ浜町は、北海道・東北地方の市町村の中で一番面積が小さな海辺の町です。北東に松島湾、南は太平洋と三方を自然豊かな海岸線に囲まれています。 藩祖・伊達政宗公の仮館があった御殿崎をはじめ、東北で初めて、全国では三番目に開設された歴史のある菖蒲田海水浴場。 ヨットハーバーや海鮮市場、カフェが立ち並ぶ花渕浜界隈。 松島四大観の一つで「偉観」といわれる多聞山からの景色や、東北最大級の大きさを誇る国指定史跡の大木囲貝塚など・・・ 訪れる人々を魅了する風光明媚な眺望が自慢です。 そして、海の町・七ヶ浜といえば、やはり海の幸! アワビやウニ、高級魚などがとれる宮城県内でも有数の漁業の町として発展しました。ノリの養殖も盛んで、味や香り、つやともに品質が良く「皇室献上海苔」に選ばれています。 仙台市街から近いこともあり、海を眺めにふらっと訪れ、ゆったりとした時間を過ごす方が多い地域です。癒しのロケーションと映えスポットを楽しみに七ヶ浜町へお出かけください!

宮城県利府町
利府町は、仙台市を含む7つの市町と隣接し、宮城県のほぼ中央に位置しています。町内には3つのJR駅と4つのインターチェンジがあり、好アクセスのまちとなっています。 利府町には日本三景の一角をなす表松島の海があり、図書館・公民館・ホール・カフェが一体となった文化複合施設リフノス、東北最大規模の商業施設であるイオンモールや、2020東京オリンピックサッカー競技の会場となった宮城スタジアム(グランディ・21)、敷地面積が日本一のJR東日本新幹線総合車両センター、東北楽天ゴールデンイーグルス2軍のホームスタジアムとなる楽天イーグルス利府球場(中央公園野球場)などがあり、自然・文化・産業が調和した町です。 現在、全町民に利府町に対して誇りと愛着を持ってもらえるよう、わくわくするまちづくりに努めています。「もっと先へチャレンジ利府!」を合言葉に市政移行を見据え、これからも様々な事に取り組んでいきます。

宮城県南三陸町
南三陸町は、リアス式海岸の豊かな景観を有する「三陸復興国立公園」のほぼ中心部に位置し、旧志津川町と旧歌津町が合併して誕生した町です。 親しまれ愛されてきた当町は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災により甚大な被害を受けました。これまで、全国・世界中の皆様から多大なご支援をいただきながら、町の歴史と記憶、さらには東日本大震災の教訓を踏まえつつ、防災集団移転促進事業などのハード整備を行い、安全・安心なまちの基盤を構築することができました。 生まれ育ったかけがえのない「故郷」としてまた「第二の故郷」として、多くの皆様に南三陸町のまちづくりに参加していただきたいと思いますので、ご支援とご協力をお願いいたします。

宮城県塩竈市
塩竈市は宮城県のほぼ中央に位置し、奥州一の宮鹽竈神社の門前町として、またみなとまちとして海とともに歩んできたまちです。 歴史上では国府多賀城や伊達藩の港、明治以降には国内有数の港湾都市として、近代では近海・遠洋漁業の基地として発展し栄えてきました。 盛んに水揚げされている鮮マグロなど、新鮮な魚介類が豊富にあり港町独特の食文化がつくられています。 すし店の数も多く、水産加工業も盛んで、笹かまぼこや揚げかまぼこなどの水産練り製品など、日本有数の生産量を誇るものが数多くあります。 また、「奥の細道」には松尾芭蕉が塩竈から松島へ舟で渡ったことが綴られていますが、塩竈には日本三景・松島の観光の海の玄関口としての一面もあります。 あまり知られていませんが、八百八島といわれる松島の島々のうち半分以上は塩竈市の行政区にあります。 特に人が住んでいる浦戸諸島には、菜の花、潮干狩り、海水浴、釣りやマリンスポーツなど海や島を楽しむため多くの人が訪れています。

宮城県大和町
大和町は宮城県のほぼ中央に位置し、町のシンボル七ツ森や船形山そして吉田川に代表される恵まれた自然と古(いにしえ)からの歴史と文化の豊かな町です。 町の東部には日本を代表する宮城の米「ひとめぼれ」「ササニシキ」の田んぼが広がり、県内最大の工業団地である仙台北部中核工業団地には多くの企業が進出しております。 また、西部には宮床伊達家ゆかりの伝承品を保存・展示した「宮床宝蔵」やアララギ派の女流歌人“原阿佐緒”の記念館などのほか、事業構想学部など全国的にも珍しい学部を設置した公立宮城大学もあります。 さらに、江戸時代に宿場町として栄えた大和町吉岡を舞台とした「殿、利息でござる!」が2016年に公開されました。 宮城県出身の羽生結弦選手も出演しておりますので、ぜひご覧ください!!

宮城県女川町
宮城県女川町(おながわちょう)は、三陸沿岸に位置する風光明媚な港町です。2011年の東日本大震災では大きな被害を受けましたが、全国からの温かい支援を受けながら力強い復興を遂げました。 女川駅を中心に整備された美しい街並みは多くの観光客や地元の人々に親しまれています。特に「道の駅おながわ」内の商業施設「シーパルピア女川」や「地元市場ハマテラス」では、新鮮な海産物や地元の特産品が楽しめ、にぎわいを創出しています。 町の特産品であるサンマ・ホヤ・養殖銀鮭・牡蠣・ホタテなどの海産物や水産加工品は、三陸の豊かな海が育んだ逸品として全国的に知られています。 また女川町は「あたらしいスタートが世界一生まれる町へ。START!ONAGAWA」のスローガンのもと、地域発のイノベーションと挑戦を後押しするスタートアップ支援にも力を入れ、未来に向けた持続可能な地域づくりを推進しています。ふるさと納税を通じて、前を向き続ける女川町をぜひ応援してください。

宮城県富谷市
私たちのふるさと富谷は、宮城県のほぼ中央部、仙台市の北隣に位置し、江戸時代には奥州街道の宿場町として栄えました。人口減少傾向にある中、若い子育て世代を中心として人口増加を続けており、平成28年10月10日には市制を施行しました。 市制施行にあたり「富谷市総合計画」において、まちづくりの将来像を「住みたくなるまち日本一~100年間ひとが増え続けるまち 村から町へ 町から市へ~」と定めました。将来像の実現に向けて、本市の特徴である多様な‘ひと’と‘資源’を「活かし」「守り」「育み」ながら、新たなまちづくりへと「動き」だします。 ふるさとを愛する皆さまと市民の皆さまからの寄附金は「住みたくなるまち日本一」のまちづくりの実現に向かって大切に使わせていただきます。 住み慣れたまちをさらに発展させたいという「富谷市民」の方や、積極的に「富谷市」を応援したいという方からの温かい支援をお待ちしています。

宮城県岩沼市
岩沼市は仙台市の中心部から南へ18kmのところに位置する街です。 千年の昔から「東北を旅する人々は必ず岩沼を通る」とも言われ、江戸時代には東(あずま)街道、奥州(おうしゅう)街道、陸前浜街道(りくぜんはまかいどう)といった旧街道の「宿場町」として賑わっていたと伝えられており、日本三稲荷のひとつとも言われる竹駒神社の「門前町」や岩沼藩3万石の「城下町」として、さらには阿武隈川を行き交う水運の拠点としても栄える街でした。 現在も国道4号と国道6号、JRの東北本線と常磐線がそれぞれ合流する地点となっていて、仙台空港や仙台東部道路(常磐自動車道から直結する高速道路)とともに、東北地方の交通の要衝として知られています。 かつては松尾芭蕉や司馬遼太郎など、「旅の達人」と呼ばれる方々もこの街を訪れ、句や紀行文を記しています。 今も昔も人々が集い、行き交う街。岩沼市へようこそ!

宮城県東松島市
東松島市は、矢本町と鳴瀬町が合併し、2005年に誕生しました。 宮城県北部に位置し、仙台市から北東に約30kmの距離にあり、東に石巻市、西に松島町、北に美里町に接し、南側は太平洋に面しています。 面積は101.86㎢キロメートルで、気候は東北地方では比較的温暖で、風雨の少ない地域にあります。 市域の東部は肥沃な田園が広がる平坦な地形、中央部には市報を一望できる桜の名所「滝山」を中心とする丘陵地。西部は、一級河川鳴瀬川・吉田川が太平洋に注ぎます。さらには、市の南西部は風光明媚な日本三景『松島』の一角を形成し、松島四大観のひとつ「壮観」と呼ばれる「大高森」や日本三大渓のひとつ「嵯峨渓」などを有し、奥松島とも呼ばれます。変化に富んだ自然が織りなす美しい景観を有する市です。 2011年3月11日に発生した東日本大震災では、本市も甚大な被害を受け、死者1,110名、行方不明者24名(2015年9月1日現在)、市街地の65%が浸水し、半壊以上の家屋が11,000棟以上、農地や漁港をはじめとする産業施設や社会基盤施設にも壊滅的な被害が生じました。 被災状況の中でも国内外から多くの救援や支援、ボランティア活動による物心両面からの援助を受け、多くの市民が深淵の縁から光明を見いだし、復興へ向けて歩き出すきっかけになりました。未だ多くの世帯の人々が応急仮設住宅に住んでいる状況ですが、防災集団移転事業や災害公営住宅整備事業により、新居への居住が進んでいます。各移転先地ではまちづくり組織が立ち上がり、話し合いを繰り返しながら自分たちのまちづくりが進められています。 単なる復旧にとどまらない、より良い未来を築く本当の復興を遂げるために、『東松島市復興まちづくり計画』をもとに、『環境未来都市』構想の推進、官民連携で復興事業を進めるための中間支援組織『一般社団法人東松島みらいとし機構(HOPE)』の設立、将来を担う子供たちのために自然環境を学習に取り込む『森の学校』などを進めています。東松島の地域に根ざしてより良い未来を創造できるよう、「東松島一心」を合い言葉に、復興まちづくりを進めています。

宮城県柴田町
仙台市から南に25kmに位置する『宮城県柴田町』。 春は桜、夏は紫陽花、秋は曼珠沙華(ヒガンバナ)など、一年を通して花に彩られた「花のまち」です。 特に桜は全国屈指の名所として知られており、中でも「さくら名所百選」のひとつに認定された「船岡城址公園(ふなおかじょうしこうえん)」や白石川沿いに広がる「一目千本桜(ひとめせんぼんざくら)」には毎年内外から多くの花見客が訪れにぎわっています。 平成27年3月にはこの2つの名所を繋ぐ「しばた千桜橋(せんおうきょう)」が開通。2つの名所を楽しめるスポットとなっています。 このほかにも町内には桜を楽しめるスポットが多くあることから、桜の名所としての人気が更に高まっています。

宮城県栗原市
~「市民が創る くらしたい栗原」の実現に向けて~ 栗原市は、宮城県北部に位置しており、面積の約8割が森林や田畑などで占められた自然豊かな田園都市です。 2005年(平成17年)4月に合併し栗原市が誕生してから、これまでの間で「平成20年岩手・宮城内陸地震」や、最大震度7を記録した「平成23年東日本大震災」、「平成27年9月関東・東北豪雨災害」とさまざまな自然災害に見舞われましたが、市民一丸となって復旧・復興に取り組んでまいりました。 これまで多くの皆さまから温かいご支援やご協力をいただきましたこと、心からお礼申し上げます。今後も、皆さまからの善意に感謝しながら、市政運営の理念として掲げた「市民が創る くらしたい栗原」の実現に向けて、よりいっそう努力してまいりますので、温かいご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

宮城県気仙沼市
気仙沼市は宮城県北東部の太平洋岸に位置し、四季を通して静穏な気仙沼港は各地へ赴く漁船の一大基地となっており、魚市場には三陸沖や世界の海で漁獲された魚介類が並びます。 気仙沼の代名詞ともいえるフカヒレや水揚げ日本一を誇る生鮮カツオなどの海産物のほか、地元特産の農産物やB級グルメとして人気の気仙沼ホルモンなどがあり、美食の街としての一面も持っています。 東日本大震災では、大きな被害を受けましたが、国内外の皆様からの暖かい御支援をいただきながら、復興に向けて一歩ずつ歩みを進めています。 気仙沼市では、まちづくりのほか、生活基盤の整備、産業の振興と雇用の創出、保健・福祉・医療の充実、教育の充実などを柱に「地方にある世界の港町」を目指して取り組んでおりますので、皆様の更なる御支援、後押しをお願いいたします。

宮城県涌谷町
涌谷町は宮城県北部に位置する自然豊かな町です。天平21年(西暦749年)に日本で初めて「金」を産出し、奈良東大寺の大仏建立に大きく貢献した歴史を持ちます。このことは現在の元号「令和」の出典元である万葉集において、万葉歌人・大伴家持(おおとものやかもち)が「すめろぎの 御代(みよ)栄えんと東(あずま)なる みちのく山に 黄金(くがね)花咲く」と詠い、2019年にはその産金の歴史をテーマに宮城県気仙沼市・南三陸町、岩手県陸前高田市・平泉町と共に2市3町で申請した「みちのくGOLD浪漫―黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる―」が文化庁から「日本遺産」に認定されました。万葉集北限の地としても広く知られています。 また、国指定の史跡や県指定の文化財も数多く、江戸時代には涌谷伊達氏2万3千石の城下町として栄えた由緒ある歴史の町でもあります。

宮城県登米市
宮城県登米市は、渡り鳥の飛来地として国際的にも有名な「伊豆沼・内沼」、東北最大の流域面積を誇る「北上川」など豊かな水環境に育まれ肥沃な登米耕土が形成されています。 登米産「ひとめぼれ」は米の食味ランキングで最高レベルの「特A」を受賞。江戸時代から米どころとして知られ、北上川から運河と海を使って廻船問屋が運び、江戸へとお米が登って行く様子から「登米」の由来になったとも言われています。現在も、赤とんぼが舞う稲穂マークを目印に、管内90%以上の農家が減農薬に努める『環境保全米』に取り組み、市を上げて環境にも人にも優しい循環型農業を推進しています。 また、登米市は、“萬画家“「石ノ森章太郎先生」の生まれ故郷(宮城県登米郡石森町で誕生)です。「石ノ森章太郎ふるさと記念館」には、石ノ森作品を楽しめるライブラリーなどがあり、記念館のすぐそばには、先生の生家もあります。 豊かな自然と調和のとれた生活環境の中で、「登米に住み続けたい・住みたい」と思う特徴あるまちづくりを目指してまいりますので、ご支援ご協力をお願いいたします。

宮城県美里町
美里町は平成18年1月1日、宮城県北東部に位置する遠田郡内の小牛田町・南郷町2町が新設合併して生まれた町です。県都仙台市とは40kmの距離にあり、東北本線、陸羽東線、石巻線が交差する交通の要衝となっています。2本の国道も走り、交通アクセスのよさから、仙台市・石巻市・大崎市の通勤圏として定住する皆さんも多く、宅地開発も盛んです。 気候は太平洋側気候で、冬季の降水量が少なく、降雪期間も比較的短いことから、とても住みよい条件下にあります。 奥羽山系を源とする鳴瀬川、江合川が町内を貫流し、この水利に恵まれた農業が、町の基幹産業となっています。土地は平たんで、約75キロ平方メートルに及ぶ町の面積の約70%を豊かな水田や畑が占めています。宮城県の食糧基地として、コメや野菜はもちろん、果樹や施設園芸もたいへん盛んです。

宮城県蔵王町